「未曾有」に思う

テレビやニュースで「未曾有」とか、「想定外」という言葉をよく耳にする。

「未曾有」は辞書では、「今までに一度もなかったこと。」また、「非常に珍しいこと。」となってます。

でも、「未曾有」とか、「想定外」という言葉、何か簡単に使い過ぎのように感じる。何か「逃げ」、「責任逃れ」に使われているのではないかと感じる。
そもそも、今回の津波の件は予想できなかったかと言えば、そうではないはず。

震災で起きた大津波は予想できた~東大教授
じゃあ、最初から言えよ!と思う。何のための専門家なんだ?と個人的に思う。自分だけが知っていたかのような口調はちょっとおかしい。

だいたい、専門家でもない自分でさえ、東北地方で昔、大きな津波が何度もあったことぐらい本を読んでいて知っていたのに。
専門家が警鐘を鳴らさずして、誰が鳴らすんだと思う。

先日読んだ、吉村昭 著の「関東大震災」にも書いてあったけれども、どこどこで地震が発生すると警告するのは、予測確率が100%ではないので、国民の混乱を招くので、控える場合があるようです。
でも、大きな地震があってからじゃ確実に遅い。専門家はもう少し情報を積極的に政府に開示して、政府はそれを下に行動計画を立てていかないといけないと思う。
後手後手じゃ済まないですよ。人命がかかっているので。

時代はもう明治~昭和ではなく、21世紀なので、これまでのデータの蓄積を検証すれば、精度の高い情報により、より効果的な方策が打ち出せるはずだと思います。
僕が推奨したいのは、点ではなくて、歴史を踏まえた線から今後を導く方法です。
まあ、たぶん既にそんなことは当たり前に行われていることだと信じていますが。
それならそうと、それを活かす方法をキチンと体系化していかないといけないと思う。
これからの日本や世界の減災を願わずにはいられません。

今週は以下の本を読みました。
この国のかたち 3巻・4巻 (司馬遼太郎)
宇宙創成(上) サイモン・シン
2020年の日本人 松谷明彦
その他並行して何冊か読んでいます。

今を生きている僕らは、いわゆる「点」を積み重ねて、大体70~80年ぐらいの短い「線」を描いて生きていますが、
歴史の本を読むと、当たり前だけど、実は僕らが存在する前から人は暮らしていて、同じように時代の変化や災害などに戸惑いながら生きていたんだなと思うと、
やっぱり時代に翻弄されることなく、強く生きなきゃいけないなと感じます。
また、先人たちが積み重ねてきたものが土台にあって生きているんだなと実感します。

「宇宙創成」は理系ではない僕がすべてを理解するのは難しいけれども、多くの学者が生涯をかけて研究し、多くの宇宙の謎にチャレンジし、多くのことが分かるようになったことがとてもすごいことだと思う。
この本を読むきっかけは、何で人が地球に住んでいるのか、とても素朴に思ったからです。
そこには、やはり今回の震災・津波のことも関係していて、何で自分って生きているんだろうと思ったからでもあります。
いつ宇宙が始まり、いつ終わるのか、考えるだけでも、果てしのないことだと思います。
そのほんの僅かな時間を自分は過ごしているんだなと思うと、ものすごい奇跡的なことだなと感じます。

「2020年の日本人」は、一転、現実的な話ですが、今後、確実に来る時代を、どう過ごしていこうか考えるために読みました。

遅かれ早かれ、もう増税(消費税アップ)は避けられない中で、更に継続的な、少子高齢化の時代。
自分や地域の今後の方向性を考えて行動する必要あると思っていて、やはり、アジアを含めた海外の需要をもう少し掘り下げて、僕の住む地域の特性と需要をマッチさせることを考えないといけないなと感じています。
どうしたらいいんだろう。単純な右肩上がりの成長ではなく、生活の充足度も考えた生き方というものを考えていきたいです。

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